還暦を越えた父親の車選びを2020年から本格稼働した。
その記録をブログに残していきたいと思う。
くるすぺの親も車好き
父親は車が好き、だと思う。
思うと書いたのは、はっきりと父親からそういう言葉を聞いたことがないからだ。父親は本当に口数が少ない。
くるすぺ家は決して裕福ではなかったから、すごい車が家に来ることもなかったし、新しい車がやってくるのは十年に一度とかだった。
でも、僕が買ったプレステでグランツーリスモを夜遅くまで楽しんでる父親の姿は鮮明に覚えている。
「あ、お父さんって車が好きなんだな。」と、その時に思ったんだと思う。
こんなに車のゲームはするのに、「車買い替えたいなあ」「あの車欲しいなあ」なんて言葉を父親の口から聞いた記憶がない。
先に、「裕福ではない」と書いたが、僕が欲しいと思うものは何一つ不自由なく買ってくれたし、なんでもさせてくれた。
「うちにはお金がないから」なんて却下されたことは一度もない。
だから、僕は高校生になるまではうちが裕福じゃないなんて1ミリも思ってなかった。
多分、両親は僕に、「お金がないから我慢しなきゃいけない」という思いをさせたくなかったんだろう。
友達と同じように、ハイパーヨーヨー、ミニ四駆、ゲーム、遊戯王のカード、なんでも買ってくれた。いや、今思うと買い与えすぎではないだろうかとすら思う。
だから父親は「車を買いたい」って言葉を出さなかったんだろう。
我慢という表現はまた違うのかもしれないが、自分の欲求を押し殺していたのには違いないと思う。
今の自分にそんな覚悟ができるだろうか。父親は自分が想像しているよりもずっと強い人なのかもしれない。
そんなこんなで大学まで行かせてくれて社会人として生きていくことができるようになった。
そして、父親と同じく車が好きになった。
車が好きになって強く思うようになったこと。
「父親に好きな車に乗って欲しい。」
これが今の自分の素直な思い。自己満足かもしれないけど恩返しをしたいんだ。
父親の愛車遍歴
自分が生まれてから父親が何に乗っていたかはもちろん記憶にあるが、生まれる前にどんな車に乗っていたかは今の今まで全く知らなかった。
父と子の会話は少ない。どちらも寡黙だし、お互いなんか気恥ずかしい感じがあったんだと思う。
でも、一緒に車選びを始めたことをキッカケに、車のことでは沢山会話が弾むようになった。車という存在は偉大だ。
父親から昔に乗っていた愛車についても色々聞くことができた。
昔の車のことはよく分からないが、やっぱり車が好きだったんだなと痛感した。
人の親の愛車遍歴なんぞ興味ないかもしれないが、この場で紹介させて欲しい。
トヨタ スターレット
父親の初めての愛車はトヨタ スターレット(2代目)だった。
源流は小型国民車「パブリカ」、これの上位車種として生まれたのがスターレットである。
現在発売されているヤリスは、このスターレットの後継であると言っても良いだろう。
そして父親が選んだグレードは「SE」と呼ばれるスポーツグレード(5ドア版)である。
標準グレードでは12インチタイヤ(今では考えられない小ささだが)を履いていたが、SEでは13インチタイヤを装着し、サスペンションの設定もハードに仕上げられていたらしい。
車両重量はなんと710kg、めちゃくちゃ軽い。駆動方式はFR。
なんて楽しそうな車を乗っていたんだ! やはり楽しい車が好きだったに違いない。
ホンダ ワンダー・シビック
スターレットの次に手にした車は、ホンダ シビック(セダンタイプ)であった。
ワンダー・シビックという愛称で呼ばれる3代目シビックである。
そして、父親が選んだグレードはまたしてもスポーツグレードであった。
「Si」と呼ばれるスポーツグレード。
この「Si」という名前は現在も受け継がれていて、北米では現行シビックSiも販売されている。
ワンダー・シビック Siには、F1技術を投入した1.6Lガソリンエンジンを搭載。最高出力は135PSと、当時ではかなりパワフルな存在だったのだと思う。
1983-1984カーオブザイヤーも受賞した実力の持ち主。
さぞ楽しい車であったに違いない。
しかし、楽しいだけを追求した車選びは終焉を迎える。
1988年、くるすぺ爆誕である。
ダイハツ アトレー
父親は僕が生まれたことをきっかけに車を買い替えた。
ダイハツ アトレーというスライドドアを採用する軽自動車だ。
スライドドアを搭載した軽乗用車は今では珍しくないが、当時は希少な存在だった(らしい)。
僕が生まれるまでは走りが楽しめる車を所有していた父親が、背の高い軽自動車に乗り換えるというのは葛藤があったのかもしれない。
だけどこの車をとても大事にしていた印象が強い。だから僕もこの車が大好きだった。
何よりこの見た目が大好きだった。今見てもかっこいいと思う。
ホンダ キャパ
くるすぺが小学生の頃だっただろうか。我が家に白い新しい車がやってきた。
ホンダ キャパ
今思うと、父親らしい選択だったんだなと思う。
というのも父親は人と被らない車を選びたくなるタチだ。
キャパはごく一般的な車だったけど、街中に溢れる車ではなかったように思う。
この性質は子供であるくるすぺにしっかりと受け継がれている。(良いか悪いかは別として)
キャパは1998年に登場し、わずか4年で生産終了となった。
キャパ発売から数年後に初代フィットが登場し爆発的にヒットする。そして、フィットをベースに作られたモビリオがキャパの後継となった。
現在のホンダの主軸であるフィットやフリードは、このキャパという存在があったからこそ生まれたんだと思うと、父親の選択を誇りに思う。
ホンダのHPにアーカイブで残っていた
三菱 コルト
「まじめ まじめ まじめ コルト」
このキャッチフレーズに聞き覚えはないだろうか。
三菱とダイムラー社が提携していたときに開発された三菱コルト。
僕が大学を卒業し就職したことを機に買い替えた車が、コルトだった。
そしてこのコルトを今でも乗り続けている。2021年の12月には4回目の車検が待っている。
このコルトという車、地味かもしれないが走りは中々しっかりしている。金銭面的に限られた選択肢の中での購入だったのだと思うが、拘って選んだんだろうなというのが分かる乗り味だ。
ただ、欲を言えばコルト ラリーアート バージョンRを手にしたかったんだと思う。
直接聞いたことはないが、僕が生まれる前の車選び、グレード選びから簡単に推察ができる。
「本当はこのグレードがいいけど、金銭面的にこれにするか。」
という思いを今回は極力させたくない。
そうならないように、こちらから金銭面のフォローをしたいと思っている。
(というのを申し出たら「ほんなもんせんでいいわあ」と言われたが、気にしないこととする。)
どんな車が欲しいのか
まず息子の願いとしては以下3点。
- 父親が心から乗りたいと思う車
- 走りが気持ち良い(と僕が思っている)車
- 安全装備が充実している車
最近の車はどれも安全装備は充実しているので、やはりキーとなるのは走りの部分だと思う。
そして父親の希望は「小さい車」であること。
確かに愛車遍歴を見てもどれも小さい車ばかりだ。僕も本当は小さい車が好きなので気持ちはとても分かる。
そして忘れてならないのが母親の存在。
僕がまだ幼かった頃、母親の脚に大きな腫瘍が発見された。幸いにも悪性ではなかったが、大手術を経験した。
それが数十年経ってまた脚が悪くなった。この脚の悪さが中々特殊で、助手席でじっとしているのが耐えられない状況になってしまっている。(頻回に脚を伸ばしたり、曲げたり、どこかに置いたり、、というのを繰り返さないと脚が痛くなってしまうというものだ。)
だから母親は、父親が運転する車の後席に座っている。
夫婦揃って満足できる車を手にするためには、後席快適性も非常に重要になるということだ。
(母親は「お父さんが好きな車に乗ってくれればそれでいいんや〜」と言うが、父親は母親のことが大好きであるに違いないので、そこを無視できるはずはないのである。)
小さくて、楽しくて、後席が快適な車。そして、父親が本当に欲しいと思える車。
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「フィットなんかいいかもしれんなあ。」
いつも無口な父親の小さな声を聞き逃さなかった。
「なら、一緒にフィット乗りに行こうや。来週でも。」
次回に続く